愛犬の命日 思い出しては泣いた7年間、それでも前に進める理由
2012年12月12日、先代の愛犬ユーリが亡くなった。
まだ9才。
シニア期に入ったとはいえ、早すぎた。
原因は肺葉捻転。
特にきっかけはなく、肺の一部が気管支の根元から捻じれてしまうという摩訶不思議な病気である。
レントゲンに写りにくく、発見は難しい。
症例は少ない。
手術しても助からないことが多い。
ユーリが家にきたのは、わたしはうつ病がとてもつらい時期だった。
休職し、のちに退職し、ユーリと過ごす時間はたっぷりあった。
しょっちゅう泣いていたわたしの側にいつも寄り添ってくれた。
泣いているとお母さんを呼びにく技を覚えた。
入院中、お母さんは面会のたびにユーリを連れてきてくれた。
長い入院期間があったが、「ここへ来たら会えるんだね」と
喜んで車に乗ってくれた。
うつ病で苦しい時間はたくさんあった。
狂って暴れてしまうような時期もあった。
でも、どんなにつらくても、ユーリと過ごした日々は最高に幸せだった。
一緒にたくさん遊んだね。
お出かけもたくさんしたね。
旅行も楽しかったね。
病院に駆けつけた時、自発呼吸は止まり、人工呼吸器をつけていた。
何度も名前を呼んで、戻ってきてほしかった。
心拍数が減ってきても、呼吸器をはずしてくださいって言えなかった。
獣医さんも何も言わずに待ってくれた。
棺に大好きだったおやつやおもちゃやたくさんのお花を詰めた。
9年間、何も後悔はしていない。
100%の力を出し切った。
獣医さんにもできる限りのことをしてもらったと思う。
誰も責めることはできない。
葬儀が終わり、親も親戚も主治医もまたうつ病がひどくなって入院しちゃうだろうなと思っていたらしい。
しかし、わたしは、本当に何も調子を崩すことはなかった。
ユーリはいつもそばにいてくれた。
そばにいるから何かがんばれた。
でも、最後に「いなくてもそのまま前に進むんだよ」
って言ってくれた気がする。
1か月後にはヘルパーの資格をとるために学校へ通い始めた。
周りと同じペースで授業についていくことは不安だった。
机の上にユーリの写真を置いて、しんどくなると「わたし、がんばるからね」とつぶやいた。
介護実習も終わり、無事に修了した。
少しずつ自信がつき、
他の資格にチャレンジしたり、
どんどん前に進んでいった。
ユーリが亡くなってから一年後、転居し、現在の愛犬みらいとさくらを迎えた。
ただ、悲しみが癒えることはなく、やっぱり思い出しては泣く日々がずっと続く。
7年たっても、何も変わっていない。
ちょっとでも思い出すと、場所も関係なく涙があふれてしまう。
7年間で一番変わったのは、働くようになったこと。
ユーリが亡くなったころは、働きたくても働けない、憧れはあるけど、わたしには無理と思っていた。
でも、ユーリが「いなくても、そのまま前に進むんだよ」と言ってくれた。
最後に、背中をトントンと押してくれた。
うん、そうするね。
ちゃんと、がんばっていくよ。
これがわたしの答えだ。
今日も愛犬みらいとお散歩へいく。
いつもよりたくさん泣きながら歩くかもしれない。