心の回復にフットサル 成果重視の風潮 遊びこそ大切に 仕事も長続き 新聞記事を読んで 3
前回のインタビュー記事の続きです。
(一部省略しています)
イ:
なぜリハビリなのに勝ち負けを競うのでしょう。楽しければいいのでは。
岡:
勝ち負け自体は悪くありません。
問題は楽しさを犠牲にし、成果が目的になった瞬間、負の作用が生まれることです。
スポーツ界には厳しすぎる指導や上下関係、体罰が残っています。
自分らしいプレーを勝手だと言われ、チームに合わないからと移籍すると裏切り者扱いされることもあります。
日本社会全体にも当てはまるこうした風潮が精神障害者の社会復帰を阻んできたのではないでしょうか。
イ:
我慢を強いる社会ですか。
岡:
一例を挙げると、仕事がつらいと感じていたある患者さんが、気分転換で遊びに行きました。
元気で前向きになれたと周りに伝えると、『普段サボっている人が、遊ぶなんてけしからん』と非難を浴び、症状が悪化しました。
心が折れて学校や職場に行けなくなったとき、気分転換をし、遊ぶことはいけないことでしょうか。
そんな場があれば、引きこもっている人も回復する希望があります。
イ:
引きこもりが生まれる背景には何があると思いますか。
岡:
個人の幸せより、社会的な成果を重視する、何が何でも勝ってこい、というなんだか戦争中のような雰囲気があるのではないでしょうか。
労働時間が長く、睡眠や食事や、文化的な時間が短い。
生産性がない、効率的でないと受け止められると『遊んでいる』と言われます。
仕事や学校以外の人とのつながりがなくなってきてます。
記事は続く。
ここからはわたしの感想です。
わたしも最初に休職したとき、復帰直前に友人と旅行に行きました。
復職したとき、誰にも非難の言葉は言われませんでしたが、どう思われていたのかは分かりません。
旅行に誘われたとき、休職していることは友人には何も言っていませんでした。
「九州の由布院まで行くよ」と言われたとき、あまりにも遠すぎるので、断ろうと思いましたが、行くことにしました。
由布院は1泊だけですが、前日は一緒に行く神戸の友人宅に泊まり、翌朝、もう一人と岡山で合流し、新幹線で博多へ。特急に乗り換えて到着。
温泉街をものすごく動き回ります。
普段仕事をしている友人たちなのに、疲れていないんだろうかと思うくらい。
くたくたになって、夜、ホテルで温泉に入っているときに休職していることを打ち明けました。
翌朝、さらに動き回ります。
電車に乗るころ、激しい頭痛におそわれ、新幹線では吐き気が起きて、空いている椅子で横になっていました。
あまりにも動けなくなっている状態を見た友人が心配して、予定の駅で降りず、「採集で戻れるから大丈夫」と名古屋駅まで付き添ってくれました。
家に帰ってから2日間、高熱にうなされました。疲労困憊だったと思います。
当時、休職中でも旅行に行ったのは友人に会いたかったからです。
学生の時、毎日のように一緒に行動していたのに、卒業したらほとんど会えない。
お互い離れた場所に住んでいるから仕方がない。
でも、会えるときに会いたかった。
多少の無理をしてでも。
その後も友人の結婚式などで同級生と集まることが何度かありました。
行けるときには行こう、とできるだけ参加しました。
遊びに行こうと誘われても、動けなくて行けないときもありました。
友人たちはどうしてこんなに休日に元気よく動けるのか不思議でした。
仕事で、家庭で、疲れてないの?
「明日から仕事だ、がんばるぞー」って言ってる。(わたしは働いてない頃)
みんなについていくだけで精一杯なのに・・・。
今思うと、忙しい中にも、非日常の活動を楽しむことで、エネルギーが補充されるのだと思います。
疲れていても、イライラがたまっていても、つらいことがあっても。
楽しむことができなかったら、エネルギーの補充にならない。
休職中に遊びに行くことに罪悪感や後ろめたさを感じることは多いでしょう。
でも、疲れやストレスがたまりにたまって発症した人が多いのでは。
薬を飲んで、家の中で寝て過ごすだけが療養ではない。
楽しむこと、遊ぶことも治療や症状の改善に必要。
それを知らない人があれこれ非難しないでほしいと思います。
もう一度、外につながるためのステップなのですから。
続く。