心の回復にフットサル 新聞のインタビュー記事を読んで 1 &私の経験から 精神医療が阻むもの
朝日新聞の10月16日の記事に、精神科医の岡村武彦さんのインタビュー記事が掲載されていたので、紹介します。
全文は書けないので抜粋になります。
(一部省略あり)
ついでに、わたしの感想もあります。
岡村さんは心を病んで学校や職場に行けなくなった精神障害者の社会復帰を、フットサルを通じて支援する取り組みがある。
チームで活動するうちに自信を取り戻し、復学や就労につながるという。
「日本人はもっと遊びを大切にしよう」
と提案している。
インタビュアー(以下、イ):
こころの病と共にスポーツする姿がなかなか想像できません。
岡村さん(以下、岡)
以前、ある講演会で報告したときも、『残酷なことをさせている。基礎練習を繰り返させるなどつらいことをなぜさせるんだ』と批判されました。
イ:
病気の人に無理は禁物ではないでしょうか。
岡:
私も2000年ごろまでは激しい運動はできないと思っていました。
『苦しい思いをしているのだから、しんどいことはやめるできだ』とか、『けがをした時にどんな反応や影響があるか分からない』という意見もありました。
今思えば、それは偏見だったと感じます。
当時の医療は患者さんにある意味、過保護でした。
やれる人のチャンスの芽をつんでいたと思います。
イ:
運動や競技スポーツが精神障害に良いという医学的な根拠はあるのでしょうか。
岡:
ジョギングや筋トレ、ヨガは精神状態や生活の質を改善します。
統合失調症については、付加的な治療になりうるという根拠がここ3年くらいで出ています。
うつ病での根拠は多く、英国では重症ではない患者さんには薬ではなく運動療法の処方箋を出します。
記事はまだ続きます。
ここからはわたしの体験と感想です。
わたしは2つの病院に入院したことがあります。
1つはうつ病専門で、休養・薬以外に作業療法を重視した病院です。
夜間帯以外は鍵がなく、囲まれた壁はありません。
国定公園につながっている裏の山道は多くの人も利用する場所です。
作業療法は個別で手工芸などの活動の時間と、音楽、園芸、散歩、ヨガ、スポーツ、料理など集団でのプログラムがありました。
最初は一部のプログラムだけの参加ですが、だんだん無理がなければ全部のプログラムに参加するように促されます。
入院というと、ゆる~りとしかイメージかもしれませんが、この病院は違います。
がっつり、ハードワークです。
園芸は農作業。
畑を鍬で耕し、水を運ぶなど全身筋肉痛になるほどです。
それだけがんばれば収穫は嬉しいものです。
ときにはイノシシなどの野生動物に食い荒らされる場合もありましたが。
冬は焚火をするので、山で枝を拾ってきて薪作りもします。
散歩はゆるりとした日が週1日、競歩が週1日、長距離が週1~2日です。
競歩は歩くと50分くらいはかかる距離を全力で約30分で歩きます。
病院が小高い丘にあるので、ゴール直前がかなりきつい坂道になります。
毎回、自己ベスト更新を目指して歩くのです。
長距離は1回2時間くらい。
ハイキングコースなので景色はいいですが、山道を歩きます。
トスバッティングの日は、打つのも全力で打ちますが、ボール拾いは走ります。
ヨガはプロのインストラクターが来ていました。
退院してからですが、病棟とショートケアの合同でランニング、しかも山道というのもありました。指導にはマラソンや駅伝の解説もしている方が来ていました。
これだけのプログラムを朝から夕方まで参加すれば忙しいうえにクタクタです。
でも、気分はすっきりでき、不眠も改善しました。
退院するとき、「わたし、良くなったな~」と感じました。
退院後は週3日、スポーツクラブで運動するようになりました。
もう1つの病院は大学病院です。
体をほぐす程度のヨガが週1回、庭に出る(すごく狭い)のが週1回。
スポーツ、運動らしいものは何もありませんでした。
そういう生活を3ヶ月もすれば体力は落ち、退院後の犬の散歩も苦しくなっていました。
確かにゆっくりと休養はできました。
閉鎖病棟でしたから、楽しみにできるようなこともなく、持ち込めず、何もすることがない生活。
そこからポンッと退院しても良くなった感は全くありませんでした。
さらに、自由に活動できる環境になっても、何かをする意欲も湧いてきませんでした。
2つの病院の入院を経験して感じたことは、運動って大切だってこと。
あと、日常生活とかけ離れない程度の自由。
スポーツをすること、参加することで他の患者さんやスタッフとの会話がうまれたり、イライラする気持ちを発散できたり、プログラムをこなしていくことで「できるようになった」と実感できるようになる。
人それぞれ違うけれど、退院したあとの活動につながる。
体力がつくことで活動しやすくなる。
閉鎖病棟って患者さんを保護する、守るという名目で制限を厳しくしたり、管理される。
鍵をかけて出れなくする。勝手に出ていって、戻ってこない、自殺やケガ、トラブルを防ぐ。
紐類、刃物類の持ち込み禁止も同様な理由。テレビのイヤホンも最初は使わせてもらえなかった。
携帯電話禁止。外部と連絡をとると休養にならない。
一応使える時間はあったけど、ナースステーション預かり。
カメラのレンズはシールを貼られ、退院になるまでとれない。(外出・外泊中も)
興味本位で撮影する人がいる、他人に見せる人がいる。個人情報の保護。
シャワー(風呂なしだった)は30分以内。タイマーで測られる。
独占しないように。(でも、5つあった)
ナースステーションはアクリル板の向こう側。
他人の薬を盗んだり、パソコン類などをいじらないように。
自分たちの身を守るためでもある?
仕切られてるから呼んでも気付いてもらえない。
頓服がほしくなっても声をかけようとさえ思わなくなった。
こんなに日常生活からかけ離れた生活が治療になる?
ここまでしなければ患者さんは自分で行動をコントロールできない?
必要な人もいるだろうけど、全員に課す必要ある?
わたしが入院していた病院はまだゆるいほうです。
もっともっと制限されたり禁止される病院もあります。
もはや「過保護」ともいえないでしょう。
岡本さんは「過保護だった」と過去形で表現されていますが、これは現在でも当たり前のように行われています。
悪化する原因になりそうなことを徹底的に排除することで、意欲はさらに出せなくなる。
だから新しくチャレンジする意欲もでず、自信がなくなって次の一歩が踏み出せない。
自由を奪うのは簡単。
治療者は退院すれば自由になるんだからいいでしょって思ってるかもしれない。
だけどね、一度奪われた自由は、自由になっても簡単に取り戻せないんだよ。
自然に、いろんなことをあきらめるようになる。
本当はあきらめさせられているんだよ。
続く