上を向いて歩こう ゆっくりと♪

精神障害(うつ病+てんかん) 生活のこと、働くこと、お金のこと

6連休最終日!! 不安が強くて寝込みます・・・

先週の木曜日から6連休です。

勤務先の病院の先生が学会でいないので、休診。

なので、スタッフも休みです。

 

明日から仕事ですが、久しぶり(?)なので不安です。

朝起きれるかな。休み中は起きるのがちょっと遅かった。

電車乗っていけるかな。

忙しいかな。これだけの休み明けだとどれだけ混むのか。

みんなピリピリしてるだろうから、ちょっとしたミスで雷が落ちそう。

1日がんばれば次の日休みなんだからしっかりしないと・・・。

 

考えるほど不安で押しつぶされそう。

今回の休み中はどこへも行かなかったし、何もしなかった。

不安ばかりを考えてしまって、今日は本当につらいです。

 

とってもおめでたい祝日ですが、わたしの気分は最悪。

テレビもあまり見れない。

 

どんなに、必死でがんばっても、他人からはがんばっていない、やる気を出してやっていないという域から出られない。

 

やる気のある態度に見えないんでしょうね。

もうほとんどミスすることはなくなった。

でも、次の新しいことは何も教えてもらえない。

教えてもできるまでに時間がかかるから、教える価値がないと思われているのかな。

それに、パートだから、全業務ができるようになる必要ないとか、

早く辞めてくれないかなとか・・・。

 

精神障害って他人からは理解できない行動や言葉が多いのだろうと思う。

 

がんばってやってるように見えないかもしれないけど、わたし、精一杯頑張ってます!!

分かんないだろうね。

心の回復にフットサル 新聞インタビュー記事を読んで 4 充実した日だった理由が分かった

前回のインタビュー記事の続きです。

(一部省略しています)

 

イ:

 処方箋はありますか。

 

岡:

 わたしも治療のゴールを就労に置いていたときがありました。

 すると、患者さんは仕事で全力疾走していてバタッっと倒れるんです。

 そこで、好きなことや楽しみを聞き、それに取り組むよう促しました。

 その人が楽しいと思える文化的活動、つまり『遊び』です。

 遊ぶことを目的にして、仕事はそのための手段にしてよと。

 遊ぶ時間があって、仲間との交流もあると、結果的に長く続きます。

 

イ:

 でも、遊んでばかりではその人のためにならないのでは。

 

岡:

 成長の過程では特に、好きなことをやる自分の時間と場を持ったほうがいいと思います。

 少年時代に遊ぶことを知らないと、社会に出てから自分や他者が遊ぶことに前向きになれません。

 それなのに、今は子どもも、学業での結果だけを求められ、遊ぶ機会が奪われてはいないでしょうか。

 遊びをもっと大切にしようと言いたいですね。

 

イ:

 少子高齢化が進む日本では、生産性を上げることが求められていますが。

 

岡:

 逆説的かもしれませんが、生産性を上げるために遊ぶんです。

 体を動かしたり、楽しく活動したりすることが脳を活性化すると、研究で分かってきました。

 遊ぶ場や、仲間の存在は心の病を予防します。

 短期間で生産性向上を求める社会は、逆に生産性を下げるのではないでしょうか。

 仕事を頑張れば豊かになると言われた社会から、仕事だけではない、『遊び』を大切にする成熟した社会を目指すべきだと思います。

 

以上で記事は終わりです。

 

 わたし、子どものころ、あんまり遊ばなかったな。

 どちらかと言えば、学校の勉強が得意で、遊ぶことは苦手。

 それは、今でも変わってないかも。

 遊ぶって何をしたらいいのって。

 

 唯一、楽しかったのは動物たちの世話。

 小学生のときは学校で飼っている動物たちの飼育委員。

 中学生のときは犬を飼い始め、熱心に世話をした。

 高校生のときは愛犬と旅行へ行った。当時は珍しかった。

 お利口さんで、おとなしい、自慢の愛犬。

 

 うつ病になって、休職したとき、両親が気分転換に愛犬と旅行へ連れて行ってくれた。

 でも、仕事をしていないのに遊ぶなんて、心の底からは楽しめなかった気がする。

 わたし、楽しんじゃっていいのかなって。

 

 転院して、入院して、その先生が楽しいと思えることはいっぱいしていいと教えてくれた。

 入院中なのに、面会の時に親に犬を連れてきてもらって、お散歩したり、ドッグカフェに行ってもいい、と。

 退院して、また何度か旅行に行った。

 楽しかった。

 一緒にたくさん歩いて、走って、ボールを投げたら持ってきて。

 楽しそうなわたしと愛犬を見て、声をかけてくれる人がたくさんいた。

 仕事はしていなかったけれど、ひとりじゃなかった。

 まだまた苦しい日、つらい日もあったけれど、幸せだった。

 

 本当に愛犬と暮らす生活が幸せ絶頂だったとき、愛犬が亡くなった。

 楽しいと思えることなんて、何もなくなったけど、楽しかった記憶は消えない。

 思い出せば今でも悲しいけれど、前に進む力をくれたのは、たくさんの楽しかった記憶だと思う。

 

 でも、あんなに働くことに憧れていたのに、実際に始めてみるとつらいことが多い。

 どんなに頑張っても。

 不器用で要領も悪くて、覚えが悪くて、よく間違える。

 頑張っている人間とさえ思われない。

 

 きちんとやれないヤツは遊んではいけないとずっと思ってきた。

 休みの日に遊んでいいのはきちんと仕事している人に許されていると。

 まぁ、休みの日に動ける状態でもなかったんだけど。

 

 ごく、最近、休みの日に寝っぱなしというわけではなくなった。

 休みの日に犬の散歩以外に全く外に出ないのは、不健康ではないかと、ふと思った。

 

 出られるのなら出てみよう。

 そう思って行ったのがボランティアとペット博。

 どちらも動物のためになること、愛犬のためになること。

 子どものころと同じ、犬が好きだから、動物が好きだから、それに関わっていられることが楽しくて、充実した日に感じられたのだと思う。

 外に出て、仕事とは関係のない人と、好きな話題で会話する。

 

 働いていない、家事をしていない、育児をしていない、介護をしていない、何にもしていない人を世間は非難する。

 病気や障害で働けなくても、世間は精神障害以外だったら「がんばっている」と評価する。

 でもさ、精神障害のある人だってがんばってるよね。

 理解できない人たちの声に振り回される必要はない。

 

 さぁ、楽しもうよ。

心の回復にフットサル 成果重視の風潮 遊びこそ大切に 仕事も長続き 新聞記事を読んで 3

前回のインタビュー記事の続きです。

(一部省略しています)

 

イ:

 なぜリハビリなのに勝ち負けを競うのでしょう。楽しければいいのでは。

 

岡:

 勝ち負け自体は悪くありません。

 問題は楽しさを犠牲にし、成果が目的になった瞬間、負の作用が生まれることです。

 スポーツ界には厳しすぎる指導や上下関係、体罰が残っています。

 自分らしいプレーを勝手だと言われ、チームに合わないからと移籍すると裏切り者扱いされることもあります。

 日本社会全体にも当てはまるこうした風潮が精神障害者の社会復帰を阻んできたのではないでしょうか。

 

イ:

 我慢を強いる社会ですか。

 

岡:

 一例を挙げると、仕事がつらいと感じていたある患者さんが、気分転換で遊びに行きました。

 元気で前向きになれたと周りに伝えると、『普段サボっている人が、遊ぶなんてけしからん』と非難を浴び、症状が悪化しました。

 心が折れて学校や職場に行けなくなったとき、気分転換をし、遊ぶことはいけないことでしょうか。

 そんな場があれば、引きこもっている人も回復する希望があります。

 

イ:

 引きこもりが生まれる背景には何があると思いますか。

 

岡:

 個人の幸せより、社会的な成果を重視する、何が何でも勝ってこい、というなんだか戦争中のような雰囲気があるのではないでしょうか。

 労働時間が長く、睡眠や食事や、文化的な時間が短い。

 生産性がない、効率的でないと受け止められると『遊んでいる』と言われます。

 仕事や学校以外の人とのつながりがなくなってきてます。

 

記事は続く。

 

ここからはわたしの感想です。

 

 わたしも最初に休職したとき、復帰直前に友人と旅行に行きました。

 復職したとき、誰にも非難の言葉は言われませんでしたが、どう思われていたのかは分かりません。

 旅行に誘われたとき、休職していることは友人には何も言っていませんでした。

 「九州の由布院まで行くよ」と言われたとき、あまりにも遠すぎるので、断ろうと思いましたが、行くことにしました。

 由布院は1泊だけですが、前日は一緒に行く神戸の友人宅に泊まり、翌朝、もう一人と岡山で合流し、新幹線で博多へ。特急に乗り換えて到着。

 

 温泉街をものすごく動き回ります。

 普段仕事をしている友人たちなのに、疲れていないんだろうかと思うくらい。

 くたくたになって、夜、ホテルで温泉に入っているときに休職していることを打ち明けました。

 

 翌朝、さらに動き回ります。

 電車に乗るころ、激しい頭痛におそわれ、新幹線では吐き気が起きて、空いている椅子で横になっていました。

 あまりにも動けなくなっている状態を見た友人が心配して、予定の駅で降りず、「採集で戻れるから大丈夫」と名古屋駅まで付き添ってくれました。

 家に帰ってから2日間、高熱にうなされました。疲労困憊だったと思います。

 

 当時、休職中でも旅行に行ったのは友人に会いたかったからです。

 学生の時、毎日のように一緒に行動していたのに、卒業したらほとんど会えない。

 お互い離れた場所に住んでいるから仕方がない。

 でも、会えるときに会いたかった。

 多少の無理をしてでも。

 

 その後も友人の結婚式などで同級生と集まることが何度かありました。

 行けるときには行こう、とできるだけ参加しました。

 遊びに行こうと誘われても、動けなくて行けないときもありました。

 

 友人たちはどうしてこんなに休日に元気よく動けるのか不思議でした。

 仕事で、家庭で、疲れてないの?

 「明日から仕事だ、がんばるぞー」って言ってる。(わたしは働いてない頃)

 みんなについていくだけで精一杯なのに・・・。

 

 今思うと、忙しい中にも、非日常の活動を楽しむことで、エネルギーが補充されるのだと思います。

 疲れていても、イライラがたまっていても、つらいことがあっても。

 楽しむことができなかったら、エネルギーの補充にならない。

 

 休職中に遊びに行くことに罪悪感や後ろめたさを感じることは多いでしょう。

 でも、疲れやストレスがたまりにたまって発症した人が多いのでは。

 薬を飲んで、家の中で寝て過ごすだけが療養ではない。

 楽しむこと、遊ぶことも治療や症状の改善に必要。

 

 それを知らない人があれこれ非難しないでほしいと思います。

 もう一度、外につながるためのステップなのですから。

 

続く。

心の回復にフットサル 薬減らして運動 仲間と楽しい時間 自信取り戻せる 新聞記事を読んで2 

前回のインタビュー記事の続きです。

(一部省略しています)

 

イ:

 最近までこうした効果が分からなかったのはなぜですか。

 

岡:

 精神的な分析や、音楽・絵画療法の方が、高尚だと受け止められ、体を動かすことが軽んじられてきたのではないでしょうか。

 ただ、集団スポーツは本人の状態以外に良い方にも悪い方にも影響する要素があるので、純粋な効果を計りにくい難しさはあります。

 

イ:

 副作用はないのですか。

 

岡:

 大会で燃え尽き、症状が悪化して入院した患者さんがいました。

 勝つことに固執しすぎたと思います。

 フットサルなどのスポーツは仲間と楽しむ、豊かな時間を過ごす生活を得ることが最大の目的です。

 治療の手段である一方で、それ自体を楽しむことが生活の目的にもなります。

 再発したのは目的がずれたからかもしれません。

 

イ:

 個人で取り組める運動に比べると、応用が難しそうですね。

 

岡:

 スポーツの場には小さな社会が生まれます。

 互いを理解して、ルールの中で役割を果たしながら協力しあうことは、社会で必要なことそのものです。

 対人関係が苦手な人も、プレーや対話を通じて自信を取り戻します。

 競技のほうが目標を持てるので、適切に薬を飲んだり、睡眠を取ったりする自己管理の意欲も高まります。

 

 イ:

 負けたり、ミスしたりする経験は、症状を悪化させるのでは。

 

岡:

 私も最初はそう思っていました。

 ゴールキーパーだった男性は、自分のミスで負けて号泣しました。

 やめるのではと思っていたら、もっと練習して優勝したいと言い始めた。

 挫折しても次の目標や希望が作れるのが良い点です。

 

イ:

 そもそも、なぜこのような取り組みを始めたのですか。

 

岡:

 日本の精神医療は以前から多剤大量処方が問題となっていました。

 そこで、薬を適切な量に減らすと、副作用も減り、動けるようになった患者さんから『サッカーやフットサルがしたい』という声が相次ぎました。

 

記事はまだ続きます。

 

以下はわたしの感想です。

 

 わたしも多剤多量の処方で苦しんでいたときがありました。

 抗うつ薬を6~7種類くらいは飲んでいたと思います。

 鎮静の効果が強いため、多くなるほど動けなくなる。ぼーっとする。

 そういう姿を見て、「良くなっていない」とさらに増やす。

 もう症状で意欲が出ず、動けないのか、薬のせいなのか分からないんですよね。

 

 副作用でいろんな症状が出てくる。他科を受診すると、「副作用じゃないですか。薬を減らしてもらってください」と言われ、副作用ではなさそうな症状も「精神的なものじゃないですか。これだけいろんな薬飲んでいるなら、うちで薬は出せません」と。

 

 じゃぁ、どうしたらいいいんですか。

 

 どの病院も医師も「さぁ、分かりません」

 こんなんで荒れてたときもありました。

 物を投げたり壊したり、攻撃的になったり。

 はっきり言って、うつの症状とは別物です。

 

 入院を検討していくつかの病院に行きましたが、荒れている状態のわたし&薬を減らしてほしいという要望を受け入れていれるところはなかったです。

 

 もう遠くでもいいから、ちゃんと診てくれる病院を探そうって見つけたのが前回の記事に書いた病院でした。

「薬は1種類ずつ試しましょう。副作用ができるだけ少ない薬からやっていきましょう」と。

 なかなかベッドが空かなくて、1ヶ月以上待ちました。

 待っている間も苦しくて、もう諦めて、他の病院を探そうかとも思いました。

 

 やっと入院できて、本当に良かった。

 きちんと薬を見直してくれて、苦しいときは話を聞いてくれて。

 ちゃんと体を動かしやすくなって、作業療法でたっぷり運動できて、体力もついた。

 

 どんな病院で、どの医師に診てもらえるかによって、回復できるかできないか大きく変わってしまうなんて、本当に悲しいと思っています。

 

 病院を頻繁に変わると「ドクターショッピング」と批判されることがあります。

 でも、その医師の治療方針に納得できなかったり、なかなか良くならないのに我慢してまで通い続けなくていいと思います。

 精神科って他科と比べると、当たりはずれが多い。

 日常生活の深い部分まで話さなけれはならなかったりするので、話しやすい相性も大事。

 納得できる医療を求めて、転院することはあり。

 入院も病院によってかなり差がありますが、入院治療も悪くはないです。

 

続く

心の回復にフットサル 新聞のインタビュー記事を読んで 1 &私の経験から 精神医療が阻むもの

朝日新聞の10月16日の記事に、精神科医の岡村武彦さんのインタビュー記事が掲載されていたので、紹介します。

 

全文は書けないので抜粋になります。

(一部省略あり)

 

ついでに、わたしの感想もあります。

 

岡村さんは心を病んで学校や職場に行けなくなった精神障害者の社会復帰を、フットサルを通じて支援する取り組みがある。

チームで活動するうちに自信を取り戻し、復学や就労につながるという。

 

「日本人はもっと遊びを大切にしよう」

と提案している。

 

インタビュアー(以下、イ):

 こころの病と共にスポーツする姿がなかなか想像できません。

 

岡村さん(以下、岡)

 以前、ある講演会で報告したときも、『残酷なことをさせている。基礎練習を繰り返させるなどつらいことをなぜさせるんだ』と批判されました。

 

イ:

 病気の人に無理は禁物ではないでしょうか。

 

岡:

 私も2000年ごろまでは激しい運動はできないと思っていました。

 『苦しい思いをしているのだから、しんどいことはやめるできだ』とか、『けがをした時にどんな反応や影響があるか分からない』という意見もありました。

 今思えば、それは偏見だったと感じます。

 当時の医療は患者さんにある意味、過保護でした。

 やれる人のチャンスの芽をつんでいたと思います。

 

イ:

 運動や競技スポーツが精神障害に良いという医学的な根拠はあるのでしょうか。

 

岡:

 ジョギングや筋トレ、ヨガは精神状態や生活の質を改善します。

 統合失調症については、付加的な治療になりうるという根拠がここ3年くらいで出ています。

 うつ病での根拠は多く、英国では重症ではない患者さんには薬ではなく運動療法の処方箋を出します。

 

記事はまだ続きます。

 

ここからはわたしの体験と感想です。

 

 わたしは2つの病院に入院したことがあります。

 

 1つはうつ病専門で、休養・薬以外に作業療法を重視した病院です。

 夜間帯以外は鍵がなく、囲まれた壁はありません。

 国定公園につながっている裏の山道は多くの人も利用する場所です。

 作業療法は個別で手工芸などの活動の時間と、音楽、園芸、散歩、ヨガ、スポーツ、料理など集団でのプログラムがありました。

 最初は一部のプログラムだけの参加ですが、だんだん無理がなければ全部のプログラムに参加するように促されます。

 入院というと、ゆる~りとしかイメージかもしれませんが、この病院は違います。

 がっつり、ハードワークです。

 園芸は農作業。

 畑を鍬で耕し、水を運ぶなど全身筋肉痛になるほどです。

 それだけがんばれば収穫は嬉しいものです。

 ときにはイノシシなどの野生動物に食い荒らされる場合もありましたが。

 冬は焚火をするので、山で枝を拾ってきて薪作りもします。

 

 散歩はゆるりとした日が週1日、競歩が週1日、長距離が週1~2日です。

 競歩は歩くと50分くらいはかかる距離を全力で約30分で歩きます。

 病院が小高い丘にあるので、ゴール直前がかなりきつい坂道になります。

 毎回、自己ベスト更新を目指して歩くのです。

 長距離は1回2時間くらい。

 ハイキングコースなので景色はいいですが、山道を歩きます。

 

 トスバッティングの日は、打つのも全力で打ちますが、ボール拾いは走ります。

 ヨガはプロのインストラクターが来ていました。

 退院してからですが、病棟とショートケアの合同でランニング、しかも山道というのもありました。指導にはマラソンや駅伝の解説もしている方が来ていました。

 

 これだけのプログラムを朝から夕方まで参加すれば忙しいうえにクタクタです。

 でも、気分はすっきりでき、不眠も改善しました。

 退院するとき、「わたし、良くなったな~」と感じました。

 退院後は週3日、スポーツクラブで運動するようになりました。

 

 もう1つの病院は大学病院です。

 体をほぐす程度のヨガが週1回、庭に出る(すごく狭い)のが週1回。

 スポーツ、運動らしいものは何もありませんでした。

 そういう生活を3ヶ月もすれば体力は落ち、退院後の犬の散歩も苦しくなっていました。

 確かにゆっくりと休養はできました。

 閉鎖病棟でしたから、楽しみにできるようなこともなく、持ち込めず、何もすることがない生活。

 そこからポンッと退院しても良くなった感は全くありませんでした。

 さらに、自由に活動できる環境になっても、何かをする意欲も湧いてきませんでした。

 

 2つの病院の入院を経験して感じたことは、運動って大切だってこと。

 あと、日常生活とかけ離れない程度の自由。

 スポーツをすること、参加することで他の患者さんやスタッフとの会話がうまれたり、イライラする気持ちを発散できたり、プログラムをこなしていくことで「できるようになった」と実感できるようになる。

 人それぞれ違うけれど、退院したあとの活動につながる。

 体力がつくことで活動しやすくなる。

 

 閉鎖病棟って患者さんを保護する、守るという名目で制限を厳しくしたり、管理される。

 鍵をかけて出れなくする。勝手に出ていって、戻ってこない、自殺やケガ、トラブルを防ぐ。

 紐類、刃物類の持ち込み禁止も同様な理由。テレビのイヤホンも最初は使わせてもらえなかった。

 携帯電話禁止。外部と連絡をとると休養にならない。

 一応使える時間はあったけど、ナースステーション預かり。

 カメラのレンズはシールを貼られ、退院になるまでとれない。(外出・外泊中も)

 興味本位で撮影する人がいる、他人に見せる人がいる。個人情報の保護。

 シャワー(風呂なしだった)は30分以内。タイマーで測られる。

 独占しないように。(でも、5つあった)

 ナースステーションはアクリル板の向こう側。

 他人の薬を盗んだり、パソコン類などをいじらないように。

 自分たちの身を守るためでもある?

 仕切られてるから呼んでも気付いてもらえない。

 頓服がほしくなっても声をかけようとさえ思わなくなった。

 

 こんなに日常生活からかけ離れた生活が治療になる?

 ここまでしなければ患者さんは自分で行動をコントロールできない?

 必要な人もいるだろうけど、全員に課す必要ある?

 

 わたしが入院していた病院はまだゆるいほうです。

 もっともっと制限されたり禁止される病院もあります。

 

 もはや「過保護」ともいえないでしょう。

 岡本さんは「過保護だった」と過去形で表現されていますが、これは現在でも当たり前のように行われています。

 うつ病統合失調症には意欲がでないという症状があります。

 悪化する原因になりそうなことを徹底的に排除することで、意欲はさらに出せなくなる。

 だから新しくチャレンジする意欲もでず、自信がなくなって次の一歩が踏み出せない。

  

 自由を奪うのは簡単。

 治療者は退院すれば自由になるんだからいいでしょって思ってるかもしれない。

 だけどね、一度奪われた自由は、自由になっても簡単に取り戻せないんだよ。

 

 自然に、いろんなことをあきらめるようになる。

 本当はあきらめさせられているんだよ。

 

続く

でこぼこ親子と散歩道

わたしと母、ではなく、愛犬の話です。

 

今日は両親がそろってコンサートに行って、夜まで帰ってきません。

なので、わたしがお留守番です。

 

お留守番のメイン(?)の仕事は愛犬2匹のお散歩。

普段、わたしがいる日は両親と別々に行きます。

いない日は父と母が1匹ずつリードを持って一緒に行きます。

 

たまに、3人のうち、2人いない時は、残った1人が2匹同時のお散歩係です。

わたしが1人でお散歩係は2年ぶりくらいかな。

 

このあたりは台風の被害はありませんでした。

暴風域に入っている時間は長かったのですが、それほどひどくなく済みました。

田んぼの稲は所々倒れている部分はありますが、収穫を待っています。

いくつかの田んぼは収穫中。

もう秋だな~、と思いながら歩きました。

 

この親子、歩きたいペースが全く違う。

母犬さくらは、あいちこち匂いをかきながらゆっくり歩きたい。

子どものみらいはちゃっちゃと歩きたい。

 

同時にお散歩するとどーなるかというと・・・、

両腕を思いっきり広げられることになる。

 

みらいは「まだー? 早く行こうよ」

さくらは「もー、ゆっくりさせてよ」

という声が聞こえてきそうな。

 

2匹、3匹と同時にお散歩させてる飼い主さんを見かけると、

すばらしーと思ってしまう。

仲良くトコトコと歩いているのがかっこいい。

 

2頭引きリード、というものがある。

昨日のペット博でも見かけた。

手元は1本で、途中から2本に分かれる。

 

″からまないリード″

というキャッチコピーだったけど、

うちの愛犬たちには使えない・・・。

この種のリードは2匹が並んで歩けなければならない。

 

たぶん、前に進めそうにない。

お互い別々の方向に引っ張って、思うようにならないさくらが怒りだすだろう。

 

この親子、顔も性格も全く似ていない。

 

わたしたち、親子ですけど、これが個性ですから。

って主張しているのかもしれません。

充実した休日を過ごしたい 第1弾 愛犬とペット博

先週、きつかったですが、何とか乗り切りました。

 

行きたいな~、でも疲れてたら無理かな~と思っていたのですが、

愛犬を連れてペット博へ行ってきました。

 

金曜日に前売りチケットを購入したので、ムダにしないためにも行きたかったですし、気分転換になるようなことができてないと、やっぱり仕事って疲れるだけで続けられないかもしれないし、ただただ家にいるだけが休みっていうのも虚しかった。

 

愛犬は車が好きではありません。

なかなか楽しいところに連れて行ってあげられなくて、自分で運転もできなくて。

 

犬連れOKスポットの少ない地方では、ペット博みたいな一緒に入れるイベントは貴重なものです。

 

わたしはお買い物を楽しみ、愛犬はおやつの試食に目を輝かせ、たくさんの犬とごあいさつができて、とても楽しかったみたいです。

家に帰ってきてぐっすり寝ています。

 

愛犬の楽しそうな顔を見ているだけで、わたしはうれしくなれます。

のんびりした1日ではないけれど、充実した1日になりました。

 

明日もお休みです。ゆっくりしたいと思います。